佐波 光男(さなみ みつお、1937年3月7日 - )は、日本の射撃競技(クレー射撃)選手、実業家。クレー射撃選手としては1964年東京オリンピックに出場したほか、各種国際大会で活動した。佐波商事社長、日本クレー射撃協会会長(1995年 - 1998年)などを務めた。
経歴
愛知県名古屋市出身。名古屋商科大学附属高等学校卒業。
少年時には弓道を行っていたが、そこから空気銃に凝るようになり、やがて散弾銃で猟を行うようになった。クレー射撃を始めたのは18歳頃のことという。
20代より各種国際大会に出場。1964年東京オリンピックにクレー・ピジョン種目(トラップ種目)で出場し(所属は矢田製菓)、15位。
1967年にはアジア射撃選手権 (Asian Shooting Championships) (東京)のトラップ種目で6位入賞。
1995年にはISSF世界射撃選手権(ニコシア)およびISSFワールドカップ(ラハティ) (ISSF World Cup) にトラップ種目で出場。ISSFワールドカップには2002年(ズール)にも同種目で出場した。
実業家としては、名古屋を中心としては高級喫茶店「ホワイトベア」や焼肉店「IMANAS亭」、バー、ライブハウスなどを展開していたが(佐波商事参照)、60代半ばよりさまざまな役職を退いた。国際A級ドライバーを取得し、名古屋モーターショーの前身となるイベントの創設にかかわるなど、自動車に対する趣味も深い。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、早稲田大学スポーツ科学学術院、2013年、2021年5月1日閲覧。
関連項目
- 射撃選手一覧
- 1964年東京オリンピックの日本選手団
外部リンク
- Mitsuo SANAMI - 国際射撃連盟 (ISSF)
- オリンピック日本代表選手団記録検索:「佐波、光男」の検索結果 - 日本オリンピック委員会 (JOC)




