足立 信頭(あだち のぶあきら、通称、左内、明和6年(1769年)- 弘化2年7月1日(1845年8月3日))は江戸時代後期の天文学者、幕臣である。字を子秀、号は渓隣。子に足立信順(重太郎)。

経歴

大阪に生まれる。大坂鉄砲方足立正長の養子となる。暦学を麻田剛立に学ぶ。寛政8年(1796年)に幕府天文方、高橋至時の下役となった。文化10年(1813年)に松前藩に出張し、馬場貞由らとゴローニン事件で幽閉されていたヴァシーリー・ゴロヴニーンからロシア語を学び、文政年間には通詞を務めた。天保6年(1835年)に天文方を拝命する。渋川景佑らとともに、天保15年(1844年)の改暦に功績があった。

子の信順と共に、墓碑が東京都杉並区堀ノ内の宗延寺に残る。これは元は台東区上野下谷にあった同寺の墓所に孫の足立信行(左内)が建立したものが、後に寺と共に移転したものである。

著作

『寛政暦書』等の暦書や『新脩五星法』を編纂し、天保6年に『魯西亜語辞書』を著わした。

外部リンク

  • 足立左内信頭と足立重太郎信順の父子についての記事

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