三重カンツリークラブ(みえカンツリークラブ)は、 三重県三重郡菰野町にあるゴルフ場である。

概要

三重県三重郡菰野町大字千草は、戦前、陸軍千草演習場で、戦後、演習場は地元の菰野町に払下げられ、菰野町千種財産区が生まれた。1957年(昭和32年)、菰野町役場、千種財産区管理会、三重交通株式会社の間で財産区の売買、賃貸借契約が結ばれ、それに伴ってゴルフ場計画が持ち上がった。

翌1958年(昭和33年)5月15日、ゴルフ場の設計測量のため、菰野町にコース設計者の保田与天が助手の吉田雄を伴って訪れた。コースの建設予定地の千種財産区は、標高1200メートルの鈴鹿山脈の主峰・御在所岳を背景に伊勢湾が遠望でき、域内を三滝の渓流がめぐる芦刈場だった。

1959年(昭和34年)2月6日、新たなゴルフ場の建設に向けて経営母体「株式会社三重カンツリークラブ」が設立され、三重交通社長の阿部正敏が社長に就任した。1960年(昭和35年)7月20日、先行して進めていたコースの造成工事が完成した。正式開場前に、ゴルフ場運営をプライベート制にするかパブリック制かが検討され、保田与天が「川奈ホテルゴルフコース(1928年(昭和3年)開場、設計・大谷光明、C・H・アリソン)に習って少数の会員を募集、運営の主体を置くべき」と強調し、セミパブリックのリゾートコースに決まった。

1959年(昭和34年)11月3日、クラブ名称「湯の山ゴルフ倶楽部」が発足された。1960年(昭和35年)10月2日、正式開場された。保田与天が名誉書記に就任し、運営を担当することになった。1966年(昭和41年)、クラブ名称の湯の山ゴルフ倶楽部を「三重カンツリークラブ」に名称変更した。保田与天は、1969年(昭和44年)1月9日、80年の生涯終えるまで、三重カンツリークラブがある菰野町を離れることはなかった。

所在地

〒510-1251 三重県三重郡菰野町大字千草7190番地

コース情報

  • 開場日 - 1960年10月2日
  • 設計者 - 保田 与天
  • 面積 - 660,000m2(約19.9万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,585ヤード、コースレート71.7
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 2グリーン、ベント
  • ハザード ^ バンカー54、池が絡むホール8
  • ラウンドスタイル - キャディ・セルフ選択可、キャディ付プレーとセルフプレー混成、1組4人が原則、状況によりスリーサム・ツーサム可
  • 練習場 - 20打席250ヤード
  • 休場日 - 12月31日、1月1日、9月頃メンテナンス休場日有

クラブ情報

  • ハウス面積 - 2,150m2(650.3坪)
  • ハウス設計 - 大成建設株式会社
  • ハウス施工 - 大成建設株式会社

ギャラリー

  • コース - 「三重カンツリークラブ」、コース案内、2021年5月7日閲覧
  • ハウス - 「三重カンツリークラブ」、施設案内、2021年5月7日閲覧

交通アクセス

鉄道

  • JR関西本線 - 四日市駅より タクシー利用約分
  • 近鉄湯の山線 - 湯の山温泉駅より タクシー利用約分

道路

  • 新名神高速道路 - 菰野ICより 2Km 約3分
  • 東名阪自動車道 - 四日市ICより 12Km

脚注

関連文献

  • 『ゴルフ場ガイド 西版』、2006-2007、「三重カンツリークラブ」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2021年5月7日閲覧
  • 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「設計者・保田与天は晩年を三重カンツリークラブで過ごしゴルフをこよなく愛した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年5月7日閲覧

関連項目

  • ゴルフ
  • ゴルフ場
  • ゴルフ会員権
  • 日本のゴルフ場一覧

外部リンク

  • 「三重カンツリークラブ」
  • 「三重カンツリークラブ」、ドローンギャラリー、Rakuten GORA、2021年8月26日閲覧

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