佐竹 義祇(さたけ よしもと)は、江戸時代中期の大名。出羽国岩崎藩の第4代藩主。佐竹壱岐守家4代当主。官位は従五位下・壱岐守。
略歴
第2代藩主・佐竹義道の次男・佐竹義敏の長男として誕生した。宝暦9年(1759年)、もしくは宝暦11年(1761年)9月6日生まれと言われている。
父・義敏は祖父・義道の嫡子であったものの、岩崎藩佐竹家の家督を相続することなく死去し、叔父の義忠が家督を相続した。明和元年(1764年)5月18日、義忠の養嗣子となった。安永2年(1773年)4月1日、10代将軍・徳川家治に御目見した。安永9年(1780年)11月7日、義忠の隠居により跡を継いだ。同年12月18日、従五位下・壱岐守に叙任した。
寛政5年(1793年)9月19日(または9月22日)に死去し、跡を長男の義知が継いだ。享年35。法号は泰量院殿月相瑞円。墓所は東京都板橋区小豆沢の総泉寺。
系譜
子女は2男2女。
父母
- 佐竹義敏(実父)
- 木暮氏 - 側室(実母)
- 佐竹義忠(養父)
正室、継室
- 相馬恕胤の娘(正室) - 後に離婚
- 松平親盈の娘(継室)
子女
- 佐竹義知(長男) 生母は継室
脚注




